金芝河(キム・ジハ)初来日記念公演 「五賊」「われわはどこに行くのか」 詩をかくからにゃ、こせこせ書かず、まこと このように書くべきじゃ。 渋谷仙太郎訳 「五賊」冒頭
1998年12月6日(日)午後6時開演 イイノホール(東京) ◇第1部:パンソリ(唱劇)「五賊」 詩人 金芝河(キム・ジハ) 鼓手 張宗民(チャン・ジョンミン) ◇第2部:金芝河作詞 による歌と劇 「われわれはどこに行くのか」 歌 田月仙(チョン・ウォルソン)
< 主催> 唐十郎 、梁石日、田月仙、金守珍、金淳次、裴昭、呉文子、鄭甲寿、高二三、曹東鉉、篠藤由里、岩切章二 ○川崎実行委員会 裴重度(川崎市ふれあい館館長) 板橋洋一(川崎地方自治研究センター)ほか ○大阪実行委員会 金丙鎮(韓日市民文化交流協議会ナヌンセ)ほか
総合演劇雑誌「テアトロ」(1999/2) 「今月選んだベストスリー」 西堂行人 金芝河(キム・ジハ)がやって来た。1974年に逮捕され、死刑判決を受けた「韓国の抵抗の詩人」が、何と初来日を果したのである。今回の来日では講演会や彼を囲んでの話し合いが数多く持たれたようだが、12月6日の一日だけ東京のイイノホールで記念公演が行われた。 当日は年輩の在日韓国人や唐十郎ら日本の古くからの支持者も多くかけつけ、会場はある種の熱気に包まれていた。そこに韓国から金芝河という肉体が降り立った。 第一部の『五賊」は韓国でも名高い「マダン劇」の理論家でパンソリの名手でもある林賑澤(イム・ジンテク)によって演じられ。 第二部『われわれはどこに行くのか」は新宿梁山泊の金守珍の演出による創作音楽劇で、金芝河の詩が集団の朗読で読み上げられ、オペラ歌手・田月仙(チョン・ウォルソン)の歌も圧倒的だった。 いがらっぽい声で「ガラッ」と、屋台の中から呼んできた。ああ、この声か、「五賊」の冒頭に響く、いきなり横っ面を張られたような、それでいて胸にしみこむ語り口は……と1972年冬の、明洞小路に立っていた時、金芝河は、屋台へ手招き、二つの劇団の役者交換は、誰にしようかと案じた。が案じるまでもなく、金芝河の芝居には僕、僕の芝居には金芝河がトビイリすることは誰もが分っていた。戒厳令下のソウル、あの時の彼が、今来る。 唐十郎 金芝河の長詩「五賊」が、ある日、突然われわれに与えた衝撃は、迷宮の観念の中で悶死する運命にあったわれわれの自我を現代のもっとも強靱な精神へと高揚させた。詠嘆から憤怒へ、涙から民衆の肉体に流れている血の言葉へわれわれを引きずり込んでいく。身におぼえのある権力の犬どもは、この途方もない死を賭した詩人に反逆罪という罪状を総動員して、いちはやく牢獄につないだ。彼らは金芝河を民衆の目から、耳から、口から隔絶することが急務だったのである。だが、この間抜けな犬どもは、金芝河の詩法に対する無理解から彼を流言輩語の張本人に仕立てあげた。そして皮肉にも、彼らの見解は正しかった。なぜならば真にすぐれた詩は本質において流言輩語だからである。無知で狡猾な犬どもは、一人の無力な詩人を拘束し、その存在理由を剥奪してしまえば、すべては解決するものと考えたのだ。厚い壁の中に閉じ込めてしまえば…。だが彼の詩は、あたかも黒死病のごとく世界の隅々へ蔓延していった。彼らの想像をはるかに越えて、とてつもないイマージュを媒体しつつ増幅していくのだ。言葉の透視術によって世界がわれわれの内面で力学的な変貌を遂げたのである。金芝河の詩は言葉の肉性の中で無限に復活するのだ。 作家 梁石日(ヤン・ソギル) アジア詩文学史の記念碑 金芝河(キム・ジハ)の名前を一躍世界に広めたのは1970年に発表された譚詩「五賊(ごぞく)」です。 当時の権力層の不正・腐敗を痛烈に風刺したこの「五賊」を発表後、金芝河は逮捕・投獄されます。しかし韓国朝鮮民族の伝統パンソリを創造的・天才的に継承発展させた「五賊」は全世界20以上の言語に翻訳され、大衆の中に爆発的な力をもって拡大されてゆき、弾圧の中からついに完全な復権を果たします。 譚詩「五賊」は、1970年初頭の韓国社会の支配階層を、乙巳保護条約時に国を売った五賊に比喩し、不正腐敗した権力層の実像を告発、風刺している。 財閥・国会議員・高級公務員・将星・長次官 (財閥・国会議員・高級公務員・将星・長次官) という名の獣の姿をした五人の盗賊達が、ソウルの真ん中の盗人の巣窟で、不正腐敗の競演を繰り広げ、豪華奢侈、放蕩な生活にひたっている…。詩人は時の権力者たちの堕落した実像を、痛烈な風刺によってさらけだす。だが、ある晴れた日の朝、五賊の群は突如雷にうたれて、六孔から血を吹き出して倒れてしまう。悲劇的終焉というより、むしろ痛快な結末に、詩人の高らかな笑い声さえきこえてくるようである。 |